3 シェルター
わけあって、
民間シェルターと公営シェルター両方に入りました。おおよそ1ヶ月くらい(^_^;)
そりゃあ家出る前はいっぱい調べましたから、こんな感じかなってイメージだけの入居スタート…(もちろんなぜ情報が出ないかは、ご存知の通りかと)
ただひとつ言えるのが
県外移動となったがために、このご時世、隔離期間が設けられてまして、一時まるで軽症や無症状の人がホテルに収容されたような気分になりました。
最初は窮屈に感じていた子供たちも慣れてくれて、もちろん時に前の家のほうが良かったとかチラホラ言ってましたし、子供ながらに不安を感じている部分はありました。
特にわたしはそれに対して否定はしません。子供はパパ大好きで、大切な思い出もあります。ここまで育ったのは、わたしだけでなくパパの力があったのは事実、わたしだって全部全部キライになったわけじゃないし、考えるほどわたしも悪い部分はあったよねって思う。
けれど、どうしようもない事情であった。心が潰されるか生活が潰れるか、瀬戸際だったんだもの、って子供に説明するわけにもいかず
子供たちも、仕方ないよ、もう帰りたくないって言ったり、ママがパパを怒らすから悪いんだ、会いたい帰りたいと言ったり、とにかく二転三転の言動繰り返す。
わたしが勝手に連れてきちゃったんだから、責められても仕方ないと、きちんと話は聞くことは心掛けました。
パパとの思い出話もしてましたし、ふとわたしも思い出したときは、これパパ好きなやつだったよねーとか言うこともあります。
だからといって、戻る選択肢はありませんでした。この先、今のところは会わせる予定はありません。過去の言動や行動から許されないことが多く、警察や司法、行政の力を借りなければ、話し合いもできない。
そのくらい怖い存在。
たったひとりの父親なのに、本来であればきちんと面会させるべきなのに、本当にごめんなさい。
県外脱出せざるを得なくなってしまったのも、それが原因。
本当は実家に帰りたかったし、この先何年も帰ることができない。わたしにしたら、親が亡くなっても会いにいけないのでは…と思わせるほどで、本当に親不孝な娘でごめんなさいと謝っても謝りきれないくらい迷惑かけてしまっています。
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バランスのとれた食事、たぶん毎月このくらいの時期の我が家の食卓は貧相なもので、必死だったっけーー。
離乳食もここで初めてのスタートを切りました。
職員の方々は子供たちにとって、時には遊び相手に、時にはお勉強の先生にもなってくれて
本当に感謝しかなくて
不安な気持ちを聞いてくれたり、できるだけわたしの希望を叶えるために色んな情報を調べてくれたり、動いてくれました。
法テラス、初めての弁護士さん
初めての申立、裁判所
シェルターや法テラス利用に住民票、戸籍謄本、今年度の課税証明書など公的証書をとる必要があって細かいお金は飛んでいきました。
お金はなくても、なんとかはなるけど、
やっぱりお金はあるに越したことはないので
(お金があれば、最短でシェルターから出て自立ができる→今後の見通しも余裕もって出来る)
できれば貯めておくのを推奨します
家借りるのにも、家財道具用意するのにもお金たくさんかかります。うちの場合、服もありませんでしたから困りました。
じゃあお金ないのにどうしたの?
そう思われる方いると思います、それはシェルター入る前から入った後もたくさん相談しました。
なので、明かすことはできません。とにかくたくさん相談しました。相談する、聞くことがまず第一歩でした。いつもスマホで検索魔でしたが、メモをとること、聞くこと話すことの大切さを学びました。
一人初めての内覧ーー
これ、ボンビーガールの再現?主人公にでもなったのか、なんて心の中で思ってしまったり
いつもは彼とふたりで
あーだこーだ言いながら相談してるから
最後まで一人で悩んで苦しかった
そりゃそうだ
県外脱出なので、地理も文化も何も知らない土地で
地図上の情報と周りのアドバイスだけを頼りに(いつもはスマホ頼りですぐググるのにできないから)
しかも、
この時期にこんなワケあり家族受け入れてくれるトコなんて限られていて
ボンビーガールでいうところの
ガマンポイントを
一人で判断し、決断しなくちゃならないことに
すごく疲れちゃった
毎日、地図とにらめっこしていたなぁ
ママ、またそれみてるの?って言われたっけ
ちょうど迎えたクリスマスーー
もう今年は、クリスマスなんて無いものだと思っていたので
ケーキを見ただけで
人生で初めて胸がアツくなる、涙が出そうになるという気持ちを体感しました。
当たり前に迎えていた日常が、突然当たり前でなくなる、生きていくっててこんなに脆い土台で、できているのに
それを当たり前だと軽んじていた自分
でも、それは経験しないとわからないことで、始まってしまえばやっぱり忘れてしまうことなんだと思いました。
もちろん色んなルールがあって窮屈でしたけど
その窮屈さがあったからこそ
シェルター退去後、ある程度ガマンがあっても
その経験があったからこそ子供たちも何も言わなくなりましたし、鍛えられました。
駆け込みシェルターについて調べていて
ヒットしたのに
情報が少ない、もっともっと調べよう
そう思っている方も多いと思います
とあるサイトによっては詳しく細かく書いてあるとこもありますが、わたしもそうでした、調べてまくってました。
でもどうしても、いまシェルターで保護されている方のための安全や安心を脅かすことは、してはいけないのです。
これからシェルターに駆け込む人のためにも。
それは子供たちにも、学校で周りにも言ってはいけないことだと伝えています。
安心安全で少し現実から離れて冷静に考えながら、ひと息ついて準備ができる場所ーーそんな空間でした。
調べるより行動するのがどれほど
大変なことかわかります。
行動すると、手が震えて
調べているだけで精一杯、迷って迷って、立ち止まり、やっぱりだめだと諦めたりして
わたしの場合、携帯チェック入るし、
自営の旦那と共に行動することが多くて
離婚するまでお金を貯めるというのも
お金管理を徹底されていて、働いたお金も丸々渡していて、貯めるというのができない。
ほとんど絶望的でした
閲覧履歴は消去、できるだけ彼の前でスマホ触らない(ブログや掲示板に愚痴るのも許されませんでしたので、触っているとウルサイ)
外部への連絡は仕事に通勤するタイミング、保育園へ迎えにいくタイミング
時間にしたら、10分〜15分の電話のやりとり数回と
銀行にいくと偽った1時間の外出で窓口相談
たったそれだけでした
お金は彼から渡される生活費のみで家を出ました。
間違った選択肢じゃないと胸を張って言える
けど、やっぱりこれで良かったのかと自問自答している部分もあります。
迷っているみなさん、困っているみなさん
本当に潰れる前に
動けるうちに、勇気を出しましょう