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DVモラハラから逃げました

(身バレ防止のため時系列をずらして書きます)******前半にてシェルターに入るまで〜落ち着くまでのお話を綴っています。思い出したことがあれば書き足すこともあります。拙い文章ですがよろしくお願いします。****** 4人の子供を連れて人生再構築中です。開放により生まれた前向きな気持ちや不安な事、愚痴を含む近況や経緯など書いています。わたしも他の人のブログを見てずいぶん助けられたので、参考にそして励みに勇気につながり、少しでも役にたてればと思います。

気が付くまでに

元々そういう傾向はあったものの

なんとか乗り切ってきた

辛いことばかりじゃない、楽しかった出来事、彼のおかげで勉強になったこと、たくさんあったんだよ

夜に一人になって、テレビ見ていると、テレビ見ながらひたすら番組の感想を話してたりしたなと思った。些細なことだけど、それがないのがさみしいなと。

結婚生活は彼の優しさや頼りになる部分が大きかったから続けられたのか、私さえ我慢すれば、我慢しなきゃ周りに迷惑かけると思っていたからであって


離婚したほうがいいのかと何度も悩んだりしたけど、わたしにも原因あると感じていたし、仕事もしていたので、バラバラになりかけていたけど、バランスがとれていたのかもしれない

わたしは月1000円のお小遣い、彼は自由に使っていた。それが当たり前で彼は家族には必要最低限のお金を使って(本人は家族のために貧しくとも養っていると豪語)、周りには奢ったり羽振りがよい。町内会や保護者会の役員もしており、顔が広い、、

ストレス解消法としては毎日の晩酌(焼酎1.8もしくは日本酒2Lか3L)と週末朝から呑むこと、お金がなくなれば月5日〜長くて2週間は空けていることはあったが、空けたときの酔い方が特にヒドイ。普段酔うと、何度も聞いた過去の悲惨な体験談、過去の自慢話と何だか彼の中で時が止まっているような気がしていた。

日中やお酒が入っていないときはとてもいい人。でも、日中例えばわたしがなにか失敗して、いいよとニコニコ流してくれたことも、夜お酒飲んだときに、昼間のあのときさとグダグダと言い始める。

わたしの本音を酔ってないときに伝えて彼が納得したとしても、酔った勢いで否定し、なにかのきっかけでぷつりとキレたら、平手で何度も顔やおしりをたたいた。30分〜1時間、わたしは耐えることでそのばをしのげばそれでいいと思っていた。

記憶をなくすことも多かった。アルコール依存症だとわたしがいっても、やめることはなく、ストレス解消を奪うことは許されなかった。

わたしはすぐ顔に出る。
お前のすぐ顔を作るのがきらいだと言った。
公共の場でも、わたしが少しでも違和感を感じたら顔に出すのが気に食わず、みんなで集まっているときにやめてほしいな嫌だなと思うことも許されなかった。場の空気を壊すことを何よりも嫌がった。

スマホを見られることも多かったので、両親に本音を言うことができず、サイトの閲覧履歴も気にする人で、夫の愚痴を書いたりしても、許されなかった??

子供たちにも普段優しいが、お酒が入ると変なとこでキレたり、就寝時間じゃないのに、早く寝させようとしたりしていた。できない約束をすることも多く、意見がころころ変わり、前言っていたことも覚えていなかったりしていた。そして、一番やんちゃな長男にはつらくあたることが多かった。
幼少期に父親とあまり関わりが少なかった彼は、子供とどう接すればいいか分からないこともあったのは知ってた、彼なりに自分が子供のときに、やってほしかったことは実行して考えてくれていたことも多かった。

が、よくホームビデオに出てくるような、よく公園にいるような、子供と遊んでくれで交流のある父親ではなかった。

3番目と4番目は特に可愛がれ、4番目は過保護すぎるくらいで、わたしも子育てする上で制約が多く、もう少し気楽に育てたいのに、それができなかった。あまり外に出してないから人見知りがひどいだなとか、4番目で最後なんだからなぜ母乳で育てない、出るのにやろうとしないのが怠慢(母乳+ミルクで授乳時間30分超えがつらく、ミルク飲ませてから家事仕事を余裕持ってやりたいと伝えても、そのわり掃除できてないと言われた)ということを言われたり、上の子たちが悪いことをすれば、お前らいらないわ、4番目の子は俺が育てるから、わたしも含めて皆出てけと言われたり、溺愛ぶりはひどかった

2年前仕事をクビになった。かなり真面目に熱心に取り組んでいたこともあり、納得がいかなかった。特にそれがきっかけで崩れ始め、コロナで巣ごもり傾向になり悪化した。


生活はぎりぎりで、というか食費は6人家族で週5000円、ご飯のほかにお酒のつまみも作らなければならなく、食費が足りないとお金をもらうこともあったが、食費渡しているのにやりくりできないお前が悪い、いつも似たりよったりのものしか出せない、亡くなったおふくろはもっとやっていたぞと言われていた。

基本的に夫側の親族はDV容認傾向にあったため、相談できず、相談したとしてもあとで彼から責められるだけなのでできなかった

離婚したいと伝えることもできなかった
それを口にすればどうなるかわからなく、実家に帰る選択肢は、実家に押し掛けたり、待ち伏せする危険もありできなかった。


そんな状態でした
(また思い出したことがあれば、付け加えるかもしれません)