食べられる幸せ
使える食費の金額を決めて
子供の分のおかずは少し多めに、
わたしの分のおかずは少なめにしても
主食+メイン(+副食)+汁物
3食出して
食べられる幸せがいまは1番
それ以上は、なにもいらない。
高価な品物も、嗜好品にあたるお酒も、なんなら外食だってしなくてもいい、誕生日だってなんにもいらない、子供たちといられたら、他になんにもいらない。
たまには手を抜いてパンだけとか
カップラーメンが出た日には、なぜか子供たちが大喜び
それでもなるべくメニューは
被らないように
子供たちのリクエストも聞いて
その上で1週間決めています。
これができるのも、
あの苦しい生活があったおかげ。
100%満足ではないかもしれない
とにかく食べさせられなくて、公共料金支払いが滞る生活は、もうしたくない。
ノートが切れたから買いたい、学校でこれ使うから買ってほしい
そんな些細なことさえ、二つ返事で答えることができなかったこともある。
そのお金があったら、いまそんなことに使わなければ
もっと、食べさせてあげられる
もっと、なにかしてあげられる
もちろん自分のために使うお金だって、大事さ。付き合いもある、ストレス発散だって必要なのはわかる。
でも月に使うお金の半分以上を自分のためやまわりに使っているのはやっぱり違う気がしていた。
借りなければならないほど困窮していたのに
本当にどうしてもってときは仕方ないよ
でも、本当にどうしてもってなる前に、やりくりしているようには見えなかった。
自分たちで、頑張って切り詰めて
それでもそれでもダメだってなれば仕方ないさ。
でも、仕方ないってなる前の努力が
どうにも足りないように思えた。
そして
あの張り詰めた家庭の空気
良い子でいなければ褒められなくて
あの人の言うとおりにしなければ、いけなくて。
自分の意見を言っていいと言われたけど
自分の意見を言って(○○が大変だから、手伝ってほしいな等)、そのときは君の気持ちもわかったよ、そうだねそうしようと言ってくれる
でも後々
お酒入ったとたん
私が発言した意見に対して、非難の意見の嵐が始まる。それはお前の怠慢だと、甘えだと言われる。
だから、意見を言えなくなるんだ
だから、あなたが望む人形でいないといけなくなるんだ
長年の間、それを訴えかけても聞き入れられなくて、
子供にどんな生き様を見せたいか考えたときに
そんな悪循環をかえたくて
いまに至る
こんなご時世の中で、県外移動したとなれば
子供たちを危険に晒しやがって!!
安全な田舎町に避難させようとするかもしれない。おれはちゃんとしていたんだ、入院してるときだってちゃんと食べさせてやってたんだ、あいつより家のことちゃんとやってたのに、勝手に連れて行きやがってと。
何となくそう思われてる。
そんな気がしている。
あなたと生活していたことは経験として、ちゃんと活かしていける。マイナスなこともプラスにできるくらい、ひとりで育てるための土台となることを、色々なことを教えてもらった。
これからも色々なことで頭を悩ますことはたくさんあって
それは正解じゃなくて不正解なこともあるかもしれない
でも、私は私なりの方法でやってみるよ、チャレンジしながら生きていくからね。